昨年末NHKドラマ"坂の上の雲"で正岡子規の晩年を見ることができた。
忘れかけていたけれども、宮原に句碑が建てられているのを思い出した。
なんで呉に句碑があるのか不思議であったが、
先週だったかヤマトミュウジアムの学芸員の方がテレビで、
日清戦争のとき従軍記者として、呉に滞在したということを話されていたいたのを聞き、
そういった関係なのかと、少しは理解できた。
そんなことがあって
自分も俳句を習っていたことを思い出した。
もう50年も前のこと・・昔むかしのこと、、、、、
わが青春、高校時代 "変わった高校だったかもしれない"
文芸部があったが、教師と生徒が同レベルで俳句を勉強する部であった。
正岡子規に俳句を習った一人に、高浜虚子がいるが虚子に俳句を習った方が
高校の近くに住んでいた方で、俳号を"十雨"といって
勾玉会を主催されていた。
この方に教えを乞うていた。
上の写真は、高校3年間で私が作った俳句が記載されている機関誌である。
最初に選んでいただい句
薄氷の その間に見ゆる 金魚かな
傘一つ 親子寄り添い 春の雨
こんな拙い句からの始まりであった。
ノートは昭和33年から作った俳句を記録しているもの。
20年くらい前にはRCCの煙石さんが担当するラジオ番組で
俳句のコーナーがあり、時々投稿しては取り上げてもらっていた。
思い出したのを機会に、昔の俳句をひもといたり
新しく作ったりと、再開してみようかな!!
コモの中 輝きて咲く 寒牡丹
つい先日テレビで見た光景、雪のちらつく寒い中、
コモで雪除けをしてもらった牡丹がなんとも輝いて見えた。